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学力調査では測れない「教育現場の変化」…熊本市教育長に聞く教育改革の本質

 本企画では、教育ICTの環境構築と普及の先導者として全国をまわる平井聡一郎先生と、教育委員会で奮闘する担当者の方との対談から、各自治体の教育ICTの取組みを探る。今回の対談は、熊本市教育長 遠藤洋路氏を迎え、オンラインで開催された。

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学力調査では測れない「教育現場の変化」…熊本市教育長に聞く教育改革の本質
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  • 熊本市でのICT利活用のようす
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 2019年(令和元年)に開始されたGIGAスクール構想。コロナ禍に後押しされる形で、当初の計画よりも早く全国の小中学校における児童生徒1人1台の情報端末整備は完了した。現在、このICT端末を使った新しい学びをどのように展開していくかという新しいフェーズに入ろうとしている。対談連載企画「平井聡一郎先生と語る、教育委員会の取組みと新しい教育」は、教育ICTの先進事例を広く共有することで、地域間の格差を埋め、今後のより良い利活用につなげようという意図から始まった。

 今回は、教育ICTの環境構築と普及の先導者として全国をまわる平井聡一郎先生と、コロナ禍の緊急事態宣言下において一斉休校となった際、いち早くオンライン授業を導入した熊本市教育長の遠藤洋路氏の対談から、教育ICTをより良く活用するための課題と解決策について探った。

熊本市教育委員会 教育長 遠藤洋路氏 

 1997年文部省(現 文部科学省)入省。2002年ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(公共政策学)。熊本県教育委員会社会教育課長、内閣官房知的財産戦略推進事務局総括補佐などを経て、2010年に文部科学省を退職。同年に青山社中株式会社を起業し、共同代表に就任。2017年から現職。2022年から兵庫教育大学客員教授を兼任。著書に『みんなの「今」を幸せにする学校』(時事通信社)。

平井聡一郎氏

 情報通信総合研究所 特別研究員。元・教育委員会 指導主事。小学校、中学校の教諭、管理職22年間と指導主事11年間の経験を経て、2017年より現職。古河市教育委員会で3年間にわたり、全国初のセルラーモデルiPad導入、クラウド活用、エバンジェリスト制度というリーダー教員育成システム等、先導的な教育 ICT 環境構築に取り組んでいる。

熊本地震が教訓に…熊本市がコロナ禍でのオンライン授業を進めた理由

平井先生:熊本市といえば、GIGAスクール構想に先駆け、2018年9月からiPadを配備し、2020年の新型コロナウイルス拡大による緊急事態宣言下においては、他の自治体が足踏みしている中、いち早くオンライン授業を導入した都市として、日本の教育ICTを語る際、一目置かれる存在です。今回の対談では、熊本市がそのような教育体制になるまでと、現状、そして今後の課題を伺いたいと思います。熊本市の事例を通し、日本の教育ICT普及のヒントを探れるのではないかと考えています。

遠藤氏:ありがとうございます。今でこそ、熊本市といえば「教育ICTのモデル地区」的な存在のように認識していただいていますが、私が熊本市の教育長に就任した2017年度、熊本市の教育用コンピュータ1台あたりの児童生徒数は12.3人で、政令市のなかでは下から2番目、区市町村別では1,816位中1,782位と、全国的にみても相当後れをとっていました。

 このまま小学校で新教育指導要領が実施される2020年を迎えれば、熊本市の子供たちの学びが遅れてしまうという焦りがありました。そこで、まずは国から推奨されているレベルまで教育ICT環境を整備することから始め、2018年度には教職員に1人1台、2019年度には小学生、2020年度には中学生に、それぞれ3人に1台のICT端末の整備を完了しました。

 2016年の熊本地震の際には熊本市内の学校も被災し、しばらく子供たちの学びが止まってしまった時期がありました。2020年のコロナ禍には端末の整備がギリギリ間に合いましたので、過去の教訓も踏まえ、ICTを活用してなんとか子供たちと学校のコミュニケーションを維持しなければと考えたのです。

平井先生:熊本市では、2018年のICT端末先行整備段階からiPadのセルラーモデルを使っていますよね。その理由には、やはり熊本地震による復興と並行して進めなければならなかったということがあるのでしょうか。

遠藤氏:そのとおりです。2018年当時は、熊本地震からの復興に向けて工事業者はフル稼働していて、Wi-Fiを整備するための工事を依頼できるような状況ではありませんでした。そのため、LTE対応のキャリアを募集し、納品時期や補償内容、何よりも使い勝手等を検討した結果、NTTドコモと契約してiPadのセルラーモデルを使うことに決めました。当時の熊本市の状況からこの選択になりましたが、結果的には、このおかげで各家庭のWi-Fi環境の有無に左右されず、コロナ禍の一斉休校時にもすぐに対応することができました

熊本市でのICT利活用のようす

平井先生:現在も学校にはWi-Fiの環境を整備していませんね。LTEだけで、人口約74万人という規模感でも問題なくやっていけたということですね。

遠藤氏:LTEだけで十分ですね。市役所内部ではWi-Fi環境も整備したらどうかという話が出ることもあるのですが、学校現場からそのようなニーズを聞くことはありません。教室でWi-Fiがつながらないというようなトラブルの頻度と比べれば、LTEでの通信トラブルはほとんどありません。校内で電波が弱い場所があれば、NTTドコモが迅速に対応してくれますし、機能の面ではLTEが圧倒的に優れていると思います。地震等の天災時も、Wi-FiよりもLTEのほうが安定しています。

ネット環境も補償も「先を見越して余裕をもった契約」が重要

平井先生:LTEの数少ない課題をあげるとすれば、金額面と通信容量の上限の2点でしょうか。

遠藤氏:そうですね。通信容量の面でいえば、熊本市では、1人当たり月間7GBの契約で、6万人でシェアしています。おかげで通常は問題ありません。しかし、分散登校とオンライン授業を併用した時には、上限ギリギリまで行きました。かつては熊本市も1人当たり月間3GBという契約にしていましたので、上限を引き上げていなければ、足りなくなっていたでしょう。これはLTEの問題というよりも、契約内容の問題かと思います。

 今後は教育の現場で、さらにICT活用が進みますし、近い未来に5Gの環境に切り替わるでしょう。さらにリッチコンテンツのデジタル教材等が増えていくなかで、通信容量をどう見積もるか、熊本市でも課題と感じています。

平井先生:今おっしゃったとおり、今後教育ICTが進んでいった際のことを想定しておくことはとても大事なポイントですね。更なる活用を視野に入れ、Wi-Fi環境なのか、LTE環境なのかを問わず、余裕のある通信環境を整備する必要があるでしょう。最初の契約時にある程度見込んでおかなければ、超過分となり、予算オーバーになりかねません。

遠藤氏:私たちの経験上、契約時にもうひとつ注意すべきポイントがあります。それは「破損や故障時の補償」です。現在、熊本市では破損・故障時に無償で修理してもらえる契約にしています。

 教育ICTを真に推進していくためには、やはり「とにかく使う」ことが大切かと思っています。熊本市では、端末を家に持ち帰って、自宅学習時にも使用するようにしているのですが、そうすると必ず出てくる問題が、「破損や故障」です。持って帰るときに落とした、家で床に置いておいて踏んでしまった等、想像以上に多いのです。過失と言えばそうですが、ICT機器が身近な存在だからこそ起こる問題でもあります。破損・故障時の修理代金を各家庭に負担していただくとなった場合、相当負担が大きいと思いますから、無償で修理交換できるような契約を最初にしておくことがとても大切だと思っています。

教育ICTによる学びの変化をどう評価するか

平井先生:熊本市では、すでに家庭への持ち帰りも進んでおり、今後はさらに活用していく段階になっているかと思います。全国的に、小中学生には1人1台の端末が行き渡りましたが、その活用レベルには大きな差がありますね。

遠藤氏:現在の熊本市の教育ICTは、活用の面では全国トップレベルにあると自負しています。しかし活用が進む一方で、それによる効果を可視化できていません。全国学力・学習状況調査の結果を見ても、学力は下がってはいないものの、上がってもいない状況です。教育ICTの活用は進んでおり、授業のやり方も明らかに変わったにも関わらず、数値等のわかりやすい結果はまだ出せていません。今後、熊本市のみならず、国レベルでも予算を確保する際に、この「評価の可視化」は必ず必要ですから、悩んでいます。

平井先生:教育ICT導入による学力の変化を可視化したいということですよね。現場にいる子供、先生、保護者は大きな変化を体感しているけれど、離れている人にはそれはわかりづらい。評価の可視化が難しい理由は、教育ICTの効果は「非認知能力」のほうに作用しているからでしょう。熊本市の子供たちは、カメラに向かってしっかり自分の意見を語ることができます。普段から自分の意見を発信することに慣れており、思考力、判断力、表現力が身に付いているからできることです。これこそ教育ICTの効果と言えるのですが、数値化しづらい。

遠藤氏:ペーパーテストで測れる力だけが学力ではないのですが、それでもどうにかして教育ICTの効果を数値として可視化したいと考えています。熊本市教育委員会が2023年1月に開催した「Kumamoto Education Week 2023」というオンラインイベントの中で、アメリカやドイツ、台湾の教育ICT事情について聞いていたところ「ICTを導入するのは、子供の学力格差を解消するためだ」という話がありました。これは大変示唆に富んでいると思い、熊本市も学力格差の変化を分析し始めました。さまざまな理由で不利な状況に置かれていた子供にとって、教育ICTは有効なんだと数値で表せれば素晴らしいと考えています。

平井先生:なるほど。格差が少なくなったと言えると良いですね。学力的に不利な位置にいた子たちの底上げも大事ですが、一方でもっと勉強したいというような子供たちも伸ばしていく必要があるでしょう。そのためにも、探究学習の進捗を管理し、先生が把握できるシステムが必要です。フィンランドでは、保護者との連絡ツールと、この探究学習の管理システムは国内で統一のものが普及していると聞きました。

遠藤氏:さきほどのアメリカやドイツ、台湾の事例でもそうでしたが、海外の事例から学ぶことも今後はさらに有効になっていきますね。国の文化ややり方、進捗は違えど、やはり共通する課題はあるので、意見交換しながら良いところを取り入れていくことは有効だと思います。

熊本市でのICT利活用のようす

デジタル端末をうまく活用するための「デジタル・シティズンシップ教育」

平井先生:1人1台端末が普及し、活用が進む中、デジタル・シティズンシップ教育の必要性が増しています。熊本市ではどのようにされていますか。

遠藤氏:デジタル・シティズンシップ教育については、これから取り組むべき課題で、熊本市でも十分に体系化できていないというのが現状です。端末を学校でも家でも使うことができ、経験値が子供たちの中でも溜まっていっていますので、それぞれの場面を通じてデジタル・シティズンシップ教育の実践がなされていることは確かです。しかし、熊本市教育委員会として提供している体系的なプログラムは今はなく、それぞれの学校に任せているのが現状です。

 デジタル・シティズンシップ教育は、単に情報モラルやルールを守るという話ではなく、ICTを使って社会に参画する力を身につける教育だと考えています。「自ら考え行動する人を育む」という熊本市の教育理念に照らしても、これからもっと進めていく必要がありますね。

平井先生:端末を持たせてもらえて、物珍しさからやってしまったということは、本質的には問題とは言えません。一方で、たとえば盗撮やSNSでのトラブルのような、本質的な問題については、しっかりと教育していくべきです。この問題は、学校が端末を渡すから必要とか、そのようなことではないですよね。

遠藤氏:そのとおりです。いくら学校の端末を制限しても、自分の端末が自由に使えるなら同じ問題が起こります。もし、ルールを決めてからでないとICT活用が進められないと考えている自治体があれば、切り分けて考えてほしいですね。

 実は、家庭でも端末を自由に使ってもらったからこそ、各家庭の状況が見えてきたという想定外の収穫もありました。動画をずっと見ているとか、テザリングして家族全員で使っているとか、家庭の置かれている状況を察することができます。このデータを、子供のより良い教育環境を整えることに活用できるのではないかと思っています。

平井先生:デジタル機器だからこそデータが残り、そのデータを分析することで、新しい課題が見えてくる。ICTにより、今まで見えなかった問題が浮き彫りになってくるというのは、非常に画期的ですね。

熊本市のプログラミング教育の今

平井先生:2022年から高校で「情報Ⅰ」の授業がスタートしました。共通テストでもプログラミングを含む「情報」が出題されるということで、プログラミング教育の実施に注目が集まっています。熊本市では、プログラミング教育はどうされているのですか。

遠藤氏:熊本市では、小学校ではゲーム等を楽しみながらScratchを学び、中学校ではプログラミング学習教材「ライフイズテック レッスン」を使って学んでいます。平井さんがお勧めされている高校「情報I」の教科書を確認してみると、社会人レベルの内容でした。高校でこれを急にやってもおそらくついて行けないので、小中学校での学びをしっかり設計してあげなければと感じています。ただ、この話はプログラミング教育だけの話ではないとも感じています。まさに情報リテラシーという分野として広く考え、学ぶ必要があります。

平井先生:どのように機器を使い、情報を使いこなして課題解決につなげるのかという意味では、そのとおりですね。探究学習だって、少し調べてわかるようなことではないはずです。探究学習とは、情報リテラシーとは何か、教員全体がリスキリングしなければならない。特に中学校の先生には意識変容が必要だと思います。

遠藤氏:熊本市ではその必要性を、子供たちの変化により先生たちが感じるようになっている気はしますね。家庭に持ち帰り、自由にデジタル機器を使えることによって、子供たちは興味をもったことを追求し、どんどん使い方をマスターしています。そんな子たちが中学に入学し、先生たちも必要性を認識していくということが起こっていますね。

 あとは今、AIチャットの劇的な進化が話題になっていますね。少し劇薬ですが、このようなAIサービスを全員の端末でデフォルトで使えるようにしておくと、学校はどう変わるだろうと考えています。そうすることで、先生も子供たちも、AIが答えられるような質問ではなく、その先の学びにつながる問いを立てることができるのではないかと。本当に考えるということを促す探究学習につながる授業を実施できるのではないかと期待できますよね。

平井先生:それは面白いですね。今後の教育を考えたときに、AIは無視できない存在です。AIをうまく活用し、人がやれることを広げていくための教育ができるよう、教育ICTが進化していけば良いですね。

単なるデジタル化から本質的な教育改革へ

 遠藤氏は「より良い教育ICT」への進化が今後の熊本市の課題だとし、今後はより良く使うためのカリキュラムを作っていきたいと語った。ICT端末を使った授業は小中学校ともに普及したものの、中学校ではまだ「これまでの授業スタイルで、紙をデジタルに置き換えただけ」の学校も多く、デジタルトランスフォーメーションまでは進んでいないという。

 「日本の小学校の教育は世界的にも高く評価されている。教育ICTが進められる前から探究的な学習スタイルが根付いており、子供が主体のカリキュラムになっていたため、教育ICTとの相性が良かった可能性がある。その一方で、中学校の授業はまだまだ知識伝達型の授業が主流。教育ICTがさらに進むことで、この授業の根本が変化していくことを期待している」と教育ICTが進むことで教育の本質が変わることへの期待を滲ませた。

 さらに「熊本市は本質を捉えた最良の教育環境を今後も子供たちに届けていく。教育環境が良いから、熊本市に移住したいという方が増えると嬉しい」と締めくくった。


《田中真穂》

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