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市民を巻き込んで社会の主役を育てる…加賀市教育長に聞く新たな教育ビジョン

 教育ICTの環境構築と普及の先導者として全国をまわる平井聡一郎先生と、教育委員会で奮闘する担当者の方との対談から、各自治体の教育ICTの取組みの現状や課題、今後への展望を探る。第8回目の対談は、石川県加賀市教育長の島谷千春氏と政策官の寺西隆行氏を迎えた。

事例 ICT活用
市民を巻き込んで社会の主役を育てる…加賀市教育長に聞く新たな教育ビジョン
  • 市民を巻き込んで社会の主役を育てる…加賀市教育長に聞く新たな教育ビジョン
  • ChatGPTを用いた中学2年生の授業のようす
  • 1人1台端末を活用した小学1年生の生活科の授業のようす
  • 「加賀市 学校教育ビジョン “Be the Player”」では、加賀市が目指す新たな教育をわかりやすく紹介している

 本企画では、教育ICTの環境構築と普及の先導者として全国をまわる平井聡一郎先生と、教育委員会で奮闘する担当者の方との対談から、各自治体の教育ICTの取組みの現状や課題、今後への展望を探る。第8回目の対談は、石川県加賀市教育長の島谷千春氏と、2023年4月に新たに設置された政策官を務める寺西隆行氏を迎え、オンラインで開催された。

 加賀市教育委員会は2023年1月、2023年度から2025年度の学校教育の方向性を示す「加賀市 学校教育ビジョン “Be the Player”」を発表した。ビジョンは「学びを変える」「誰一人取り残さない」「未来は自分で創る」「地域と一緒に」の4つのプロジェクトで構成されており、子供たちのウェルビーイングを実現する学びの改革に取り組んでいる。

石川県加賀市教育委員会 教育長 島谷千春氏

 横浜市出身。2005年文部科学省入省以来、初等中等教育、研究振興、国際関係などを担当。2017年より横浜市教育委員会に出向し、教育振興基本計画策定や学校の働き方改革、教育・福祉連携などの業務に従事。2021年より内閣府科学技術・イノベーション推進事務局にて、「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」の取りまとめやスタートアップ事業に携わる。2022年10月より現職。

加賀市教育委員会 事務局政策官 寺西隆行氏

 東京大学工学部卒業後、株式会社Z会にて、高校数学の教材編集、デジタルマーケティング戦略の構築・統括、個別指導事業開発等に従事。2016年より(一社)ICT CONNECT 21 事務局次長。文部科学省広報戦略アドバイザー、経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザーを兼務し、学習指導要領やGIGAスクール構想等の普及啓発を支援した。2022年、プログラミング教育のライフイズテック株式会社勤務を経て、2023年4月より現職。

平井聡一郎氏

 合同会社未来教育デザイン代表社員 茨城県の小学校、中学校の教諭、管理職22年間と指導主事11年間の経験、2017年より情報通信総合研究所特別研究員を経て、2021年より現職。現在、文部科学省中央教育審議会臨時委員、学校DX戦略アドバイザーをはじめ、各省庁の委員等を歴任。全国の教育委員会、私学、教育関連事業のアドバイザーを多数務める。

先生たちはICTの活用に前向き、ICTが不可欠になる授業を目指したい

平井先生:GIGAスクール構想が進められている中、現在の加賀市の学校教育における端末やネットワーク整備といったICTの環境整備、その活用状況を教えてください。

島谷氏:加賀市では「ICTをまず使ってみよう」という段階はすでに終わっています。先生たちは、たとえば授業支援ソフトなどを使って議論を深めるために子供たちの意見を集約して見える化したり、クラウド上で協働作業したりするなど、ICTを使って授業を活性化させようという意識をもって授業に臨んでいます。

 今はさまざまな場面でICTを活用しながら「学びをより深めるためにこんな使い方もできるね」というのを見つけては広がっている状況です。ただ、1人1台端末なしには授業が成立しないという状況にまで達している先生はまだ多くはないのかなと。日々の端末の持ち帰りも含め、1人1台端末をマストアイテム化するためには、クラウドをうまく活用することが鍵になると思っているところです。

1人1台端末を活用した小学1年生の生活科の授業のようす

支援員ありきのICT活用ではなく技術の普及を

平井先生:寺西さんは実際の学校現場を見ていてどのように感じていますか?

寺西氏:学校のICT活用を支援するためにICT支援員が学校に入っていますが、先生方が支援員に任せきりになってしまい、先生方にICTを使いこなせるスキルが身に付かないことがあると感じています。ICT支援員がすべてをサポートするのではなく、先生がICT活用のスキルを身に付けられる方法を考えていかなければいけないと思います。

平井先生:そうですね。ICT支援員に頼りきってはいけない。しかしこれはICT支援員を入れている自治体ではどこでも起こりうることで、今の課題だと思います。ICT活用のために必要なことをきちんと線引きして、ICT支援員も含めてどの部分を誰がやるのかということを決めることが大事だと思います。

「学校教育ビジョン」で目指す方向を全市民に周知、心強い味方ができた

平井先生:そのような環境を整えたうえで、どのような授業をやっていくのかというビジョンを示すことが大事ですね。島谷教育長が赴任してすぐに取り組まれた学校教育ビジョンの策定は、全国の学校・教育委員会の参考になると思っています。加賀市の学校教育ビジョンを策定した背景と、現在の状況を教えてください。

島谷氏:「加賀市 学校教育ビジョン」は、新しい学びのかたちや加賀市が向かう教育の方向性について市民や保護者の理解を得るために作りました。学校がこれまでの一斉授業から脱却し、子供が主役になる授業や個別最適・協働的な学びに移行するための「はじめの一歩」のハードルは高いですが、子供が変容していくようすがわかりやすい改革でもあるので、学校現場での広がりという意味ではそこまで難しいことではないと考えています。

 しかし、保護者や地域の人たちなど、旧来型の教育を経験してきた周りの大人たちが「個別最適な学びは自習みたい」「子供たちが協働的に学ぶ姿が楽しそうで遊んでいるように見える」といった違和感をもつのも事実です。新しい学びのかたちに移行する中で、学校がどんなに頑張って変えていったとしても、周りの理解が得られなければ改革は止まってしまうと考えました。

 そこで策定したのが「加賀市 学校教育ビジョン」です。今回の加賀市の教育改革は人口減少に立ち向かう地方創生の切り札として始まっていて、市長をトップに市全体の意志として取り組んでいることもあって、イラストを中心としたわかりやすいパンフレットを作って全戸配布し、改革のようすは市の広報誌でも毎月わかりやすく説明を続けています。

 また、STEAM教育や探究型の自分で考えて動く授業を大事にしていくという学校教育の優先順位を市内の学校に対して示すためのビジョンでもあります。

「加賀市 学校教育ビジョン “Be the Player”」では、加賀市が目指す新たな教育をわかりやすく紹介している

平井先生:なるほど。私はよく「未来を共有する」と言っていますが、学校も保護者も社会も子供たちも含めて「こんな未来になるから、こんなふうに教育が変わらなきゃいけないよ」ということをみんなで共有することがとても大事ですよね。このビジョンについて、保護者や地域の方、学校の先生方はどのように受け止めているのでしょうか?

寺西氏:非常に前向きに受け止めてくれています。先ほど教育長も言っていたように市民理解のためのビジョンだったこと、「行政のいつもの固い文章」ではないからこそよかった部分があると感じています。

平井先生:僕も以前加賀市を訪問したとき、先生方が一生懸命、真面目に取り組む姿を見て、非常に前向きな先生が多いなという印象でした。そして市民の方が作った教育ビジョンの看板もありましたよね?

島谷氏:そうなんです。「学校教育ビジョン」のパンフレットを全戸配布したときに、地域の活性化に取り組んでいるNPO団体が「加賀市民全体で教育改革をやっていこう」ということで駅前の大きな観光案内看板の1枚を「加賀市 学校教育ビジョン」で飾ってくださいました。このように取組みを応援して動いてくださる方々がいるというのは非常に心強いなと感じます。

 ビジョンでは、「自分で考え 動く 生み出す そして社会を変える」そんな子供を育てようという意味のスローガン“Be the Player”を掲げているのですが、我々大人も地域を作っていく子供を育てる主体になろうという、大人のスローガンでもあるということをお伝えしています。小中学校のPTA会長からも、市全体で動いていくために保護者は何ができるのかということについて対話をしていきたいと言ってくださっています。保護者の方々にも「子供たちの教育を今変えていかなくちゃ」という思いがあるという点も心強いです。

平井先生:子供たちの教育を学校任せ、教育委員会任せにするのではなく、一般の方や社会が自分ごととして捉えている状況が、看板に象徴されていますよね。みんなを巻き込んで教育改革に取り組めるのは、やはりわかりやすい「学校教育ビジョン」があったからこそできたのではないかなと感じています。

 このビジョンは「学びを変える」「誰一人取り残さない」「未来は自分で創る」「地域と一緒に」という4つのプロジェクトで構成されていますね。GIGAスクール構想や学習指導要領が目指すことの中でも「学びを変える」が最初にあって、そこから他にだんだんと広がっていくのかなと思っています。加賀市では学びを変えるためにまずどのようなことに取り組まれていますか?

島谷氏:「学び変えるプロジェクト」を中心に据えた理由の1つは、平井先生がよくお話しされている「現在や未来の社会が大きく変わってきている」ということですが、加えて私は不登校について強い問題意識をもっています。不登校傾向の子供も含めれば、中学生の15%程度が学校に拒否反応をもっているとされていて、それはもはや行政のシステムとして成り立っていないと思うんです。

 不登校対策としてスクールカウンセラー配置や別室登校支援をすることももちろん大切ですが、何より長い時間を過ごす授業で子供がウェルビーイングを感じられない状況では、どんな対策をしても今後も不登校は減らないと思っています。授業を変えることで、未来社会で活躍する人材も育ちますし、不登校のリスクを抱えている子供たちをいくらかは救っていくことにもつながると思います。

 そこでまず取り組んだのは、授業改革をやりたいと思っている先生と県外の先進校を見に行き、子供を主役にする授業、子供に預ける授業を実践するということです。加賀市では指導主事とは別に、教育推進プロジェクトマネージャー3人(伴走チーム)を配置していて、学校現場で先生に伴走しながら子供主体の授業、個別最適・協働的な学びへの転換を進めています。新しい授業スタイルでは、いつもは授業内容が理解できなくてふさぎ込んでいた子や不安な表情をしていた子が自分から学びに向かうように変わっていく姿が見えやすい。すると、他のクラスの先生も「自分たちもやってみようかな」と思う。今はその循環が急速に広がっていっているというのが現状です。

 子供が自己決定する授業、子供に学びのコントローラーを渡すという先生自身の授業観や子供観の転換はハードルが高く、「はじめの一歩」に踏み出せるかどうかが広がりの鍵になるのですが、伴走チームが後押ししながら、この一歩目を1人でも多くの先生に経験してもらうことに今は注力しています。教育委員会としては、「失敗は大歓迎だし、もしも保護者からクレームが来たら全部こっちで受けるから」というように、今はひたすら先生たちの背中を押しています。

平井先生:そうなんですよね。今までの教育政策は、不登校の児童生徒にはカウンセラーによる相談を行う等の対症療法ばかりを行っていましたが、学びを変えるという根本治療、体質改善を行うことは重要です。子供たちが変わったのを先生たちが実感すると、先生自身も変わってくれるんですよね。

島谷氏:本当にそう思います。

平井先生:先生たちは自分たちが教えたくてしょうがないのをぐっとこらえて、子供に委ねるっていうことがとても大事。そこが大きな意識の転換になって、学習者主体の学びに変わっていく切り口になると思います。

島谷氏:今年度が勝負ですね。コロナが明けていろいろなことが戻る中で、すべて戻したら昔の状態と一緒ですから。コロナ禍でもどうしても子供たちのためにやりたかったことというのが、本当にやりたいと思っていること。校長先生たちには「今年度、何を残して、何を残さないのか、考え抜いてください」とお願いしています。

平井先生:そこはとても大事なことだと思います。コロナ禍で必要なかったものは、なくてもなんとかなると思いますね。せっかくコロナで考えるきっかけができたのですから、それを生かして教育長が発信していくというのは素晴らしいです。

島谷氏:保護者も地域も「あの学校はやっていて、うちの学校はやっていない」というような横並びを気にする傾向にありますが、加賀市としては“Be the Player”を育てるための教育活動になっているかどうかということが重要な基準になるので、それに資するものかどうかという視点で見て、優先順位をつけて削れるものは削っていきたいと思います。

平井先生:削る・削らないという判断基準が明確になっていて、学校の先生たちがやりやすい環境づくりをされているなぁということを強く感じました。

ChatGPTを用いた中学2年生の授業のようす

STEAM教育をどう実践していくのか、先生たちの指針となる系統立てが必要

平井先生:次に「未来は自分で創るプロジェクト」について伺いたいと思います。子供たちが本当に必要な力を付けていくという中で、プログラミングやSTEAM教育についていろいろと考えて取り組まれていると思いますが、いかがですか。

寺西氏:これまでの職歴で、さまざまな教育委員会等から「STEAM教育の系統立てた計画が欲しい」という声を多く聞いていました。実際に加賀市で現場を見ると、ひとりひとりの先生方はすごく頑張っているのを感じる一方で、系統立てたSTEAM教育の計画が全体で無いまま動いているので、学習活動に落とし込んだときに、STEAM教育をしたらどのような力が身に付き、子供たちはどのような姿に成長するのかが明確ではないな、と感じ、これまで聞いてきた声の意味がよくわかりました。そんな現場の状況を見て、今まさにSTEAM教育の系統立てた計画を作っている最中です。

 まだ計画段階ですが、中学1年生までにプログラミング等のスキルとデジタル・シティズンシップを少しずつ身に付けて、中学2年生・3年生でそれらを生かして課題解決等に取り組むというような流れで考えています。系統立てた計画ができれば、先生方も安心してSTEAM教育に取り組めると思います。

平井先生:これまでの経験を生かして、学習内容をうまくつなげてひとつの流れにしていくということを今取り組まれているんですね。

新しい取組みを具現化するために外部人材を採用

平井先生:今度は、「政策官」を新たに設置した理由を教えてください。

島谷氏:私は横浜市教育委員会への出向経験もあるのですが、政令市のマンパワーは本当にすごいです。国よりも細分化された事業担当者がいるので、何か新しいことが来てもしっかり受け止められる組織力があります。一方で、ほとんどの基礎自治体では、通常の学校運営のためのルーティン業務を担当する人員しか配置されていないのが現状です。

 そんな中でGIGAスクール構想が始まり、通信環境や端末整備など、削減する業務がない中、対応を迫られさらに多忙を極めている状況であるため、企画立案やそれを具現化していくための余剰人員がまったくいない状況でした。新しい教育ビジョンを実現するためには、学校と伴走する経験豊かな伴走チームが不可欠であるし、デジタル教育、探究学習、プログラミング等、新しい時代の要請を見極めつつ過不足なく、無理なく系統立てたカリキュラム設計を考える人が必要だと思ったので、外部から経験豊かな人たちを迎え入れました。

平井先生:たしかに今の教育委員会の中には企画の担当官がいないことも多いですね。ルーティンの仕事をこなしながら新しいこともやっていくのは難しいですよね。それを考える人を作るっていうのは素晴らしい取組みだと思いますし、他の自治体のモデルケースになると思います。政令市等の大きな自治体だけでなく、小規模な自治体でも必要なんだということを強く訴える意味でも、政策官である寺西さんの役割は大きいですね。

教員と子供たちの変化を目に見える形で評価することが課題

平井先生:加賀市では教育ビジョンをもとにさまざまな改革に取り組んでいますが、現在はどのような課題がありますか?

島谷氏:今の課題は、この学びの改革の効果をどう可視化するか、どう定量評価するかということですね。先日採択された文部科学省の「教員研修の高度化に資するモデル開発事業」において、福井大学やTeach For Japan(TFJ)、AIの企業等との共同研究を行い、一斉授業から子供主体の学びに変えたことによって、子供の自己調整力やメタ認知などがどう変容していくのかということをAIも活用して見ていく予定です。

 私たちが今取り組んでいる学びの改革は定性的にはその効果が見えているのですが、市民や保護者はもちろん、全国の教育関係者にも「これってやっぱり良いんだね」と納得してもらうためにも定量評価することが必要だと思っています。

平井先生:そういった評価を示すことは「このような学びって大事なんだ」と理解するための1つの切り口になると思うので、これからも注目していきたいと思います。加賀市の仕組みや取組みはぜひ他の自治体にも知ってもらいたいし、これが広がっていってほしいと思っています。

改革のためには自前主義からの脱却が必要

平井先生:最後に教育長から、他の自治体の教員委員会や学校関係者に向けてメッセージをお願いします。

島谷氏:新しいことを進めていくためには自前主義から脱却できるかがポイントだと考えています。新しいものを取り入れ、仕組みを変えるときには、一歩引いて俯瞰的に見てくれる人や各分野に強い専門家、NPOなどとの連携がとても力になります。学校や教育委員会が抱え込む構造を変えていくことが重要だと思います。

平井先生:なるほど。それにもやはり段階があると思うので、この時期にはこんな人、次の時期はこんな人というように、自分たちの状態に合わせて必要な人を必要な期間呼んでくるというスタイルが教育委員会や自治体に必要ですね。これからも一緒に頑張っていきましょう。

自立した学び手を育てるため市全体で教育改革に取り組む

 明確なビジョンを全市民に示した加賀市教育委員会。市民や保護者の協力・理解を得ながら、市全体で教育改革に取り組んでいるようすがうかがえた。教育委員会主導で、先生たちが改革に取り組みやすい環境を整えている姿は多くの自治体でも参考になるだろう。改革の動向に今後も注目したい。


《外岡紘代》

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