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いじめ問題の構造改革への挑戦…子供のSOSをどうキャッチするか?竹之下倫志氏インタビュー<後編>

 いじめ問題の解決を阻む教育環境の構造変革を目指し、いじめ問題に立ち向かう個人や団体・当事者が集う「いじめ構造変革プラットフォーム(Platform of Ijime-Structure Transformation.通称:PIT)」の共同発起人、竹之下倫志氏に話を聞いた。インタビュー後編。

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いじめ問題の構造改革への挑戦…子供のSOSをどうキャッチするか?竹之下倫志氏インタビュー<後編>
  • いじめ問題の構造改革への挑戦…子供のSOSをどうキャッチするか?竹之下倫志氏インタビュー<後編>
  • 加藤紀子氏と竹之下倫志氏
 今年に入って大きく報道された北海道旭川市女子中学生いじめ凍死事件、最近では東京都町田市小6女児いじめ自殺事件など、いじめによる痛ましい事件が後を絶たない。このような取り返しのつかない事態から子供たちを何とか救うために、親、そして周りの大人たちができることは何か。

 いじめ問題の解決を阻む教育環境の構造変革を目指し、いじめ問題に立ち向かう個人や団体・当事者が集う「いじめ構造変革プラットフォーム(Platform of Ijime-Structure Transformation.通称:PIT)」の共同発起人、竹之下倫志氏インタビュー前編では、いじめの現状や、いじめ防止対策推進法の認知、法改正等について話を聞いた。後編では、子供たちのSOSをどう見つけ、守っていくかについて聞いた。

子供の習性としてそもそも学校に期待できない



--地域差はあるものの、法律によって少しずつ環境が整いつつあることはわかったのですが、「いじめ」の重大事態の中でも死に至るというケースだと、親御さんが一番悔やまれるのが「なぜ異変をもっと早く知らせてくれなかったのか」という点ですよね。親としては何とかしてもっと小さな「タネ」のうちにわが子を救ってやりたいと思うものですが、いじめによる子供のSOSサインはどうやって見つけてあげれば良いのでしょうか。

 それはすごく難しいです。子供たちに調査をすると、「(自分が)いじめを目撃したときは先生に言う」と答えた割合が5割を超えているのに、「(自分が)いじめられたら言う」と答えた割合はたった1割にまで激減するのです。しかも、普段から先生と親しく、気軽にコミュニケーションが取れているような子でも、いじめられたことは言わないという傾向が見られたのです。

--それは難しいですね。つまり親としては、先生のせいではなく、子供の習性としてそもそも学校に期待できないと思っておいたほうが良い、と。

 そう思います。親御さんたちはまず、「子供は自分がいじめにあっても学校には相談しづらい」のだということを前提にしておいたほうが無難でしょう。学校からそういう情報は降りてこないと思って期待しないほうが良いと思います。しかしながら、先ほどの数字からわかるように、周りで目撃した子供たちはどこかにその情報を届けてくれる可能性は高いので、普段から情報を得やすいつながり、学校や他の家庭とのネットワークを普段から確保しておくことはとても有効だと思います。前編でもお話ししたように、いじめが発生してからだと対立構造になりがちで、誰が悪かったとか、過去の話ばかりになってしまい、被害者側は孤立のループにはまっていくことが多いのです。その結果、目の前の子供たちがこれからどうなったらいいかというもっとも重要なところに立ち帰れなくなってしまう。だからこそ、起きる前からの連携が大事なんです。

誰もが加害者になる可能性がある



--わが子が加害者になる可能性もあります。これには親としてどういう対応が望ましいでしょうか。

 まず、今の「いじめ」の定義だと、誰もが加害者になる可能性があります。これを大前提にしておくこと。いじめは人権問題で、人の尊厳に関わる、大きな問題です。まずは、その意識をもってほしい、というのを前提とした上で、一方でいじめの定義は広いので 「加害者=尊厳を傷つけた」というわけでは必ずしもありません。 だから、加害者と指摘されたら慌てたり、感情的になったりせずに、まずは落ち着いて事実確認をしてほしいと思います。 その上で、「尊厳を傷つけた加害者」であった場合は「それは絶対やっちゃダメ」ということをすべての子供たちに知っておいてほしいと思います。

 たとえば頻繁に遅刻し、クラスの輪を乱す子がいて、その子にキツく当たったところ泣かせてしまい、それを「いじめ」だと言われたとします。加害者の親にしてみれば、「うちの子は注意しただけだ」とヒートアップしてしまいたくなる気持ちはわかります。しかし、「注意しただけ」だとしても、その仕方によっては相手の尊厳を傷つけてしまっている場合があります。その可能性があることにまずは注意を払ってほしい、と思います。

 その上で、輪を乱す子に対して「最悪だ」「許せない」「思う」こと自体はむしろ自然なこと、と受け入れ、でも、だからといって相手の尊厳を傷つけるような言動を「実行」してしまうのはいけない、というところを分けて考えるのが大切です。大事なのは、そこに線を引いた上で「ならどうすればよいか」「どうすればよかったか」を考えること。これを親子で考えてみてほしいと思います。

加藤紀子氏と竹之下倫志氏
 コミュニケーション力の重要性が叫ばれていますが、いじめの教育のひとつには、こうした対話の作法というか、相手を傷つけずに自分の感情を伝える行動方法や言葉の術を学ぶ場なのかなと。いじめの教育を道徳だけに閉じてしまうのは少し違う気がしていて、お互いがどこで落ち合えるかというところを探るプロセスを学ぶ場でもあると思うんです。

--法改正ももちろん重要ですが、いじめが起こる以前に、そうやっていじめに対して皆が統一した解釈や意識を持っていることが大事なんですね。一方で、そうした意識の啓蒙やネットワークづくりを各家庭や学校、教育委員会などに依存すると、いわゆる「ガチャ」、つまり属する集団の当たり外れが起きてしまうと思うのですが、この点を解決できるアイデアはありますか。

 ひとつのやり方としては、年度初めに全国共通のプログラムを子供たちに体験させたり、それをベースに学校とPTAが一緒に話しあったりしておく。そして、そもそも「いじめ」ってどういうことなのかということから、もしこういう事態が起きたらこうやって協力しようねといったところまで、あらかじめみんなで握っておくこと。繰り返しになりますけど、重大事態になる前に、認知の時点でみんなで食い止めるんだという思いをひとつにすることです。

 そうしたプログラムとして活用できるよう、私たちは、最適ないじめ対策を行っているモデル校づくりを行うプロジェクトの企画にも着手しています。

--日本国内に限らず、実際にそういういじめ防止のプログラムで効果を上げている事例はあるのでしょうか?

 ノルウェーでは「オルヴェウスいじめ防止プログラム」というのがあります。1982年、いじめによって3人の子供が自殺した事件の後、国家規模で実施した「いじめ撲滅運動」の一環として、ベルゲン大学のダン・オルヴェウス教授が開発したプログラムです。

 このプログラムの反いじめルールはとてもシンプルです。

オルヴェウス・いじめ防止プログラム 4つの反いじめルール



1.私たちは、他の人をいじめません
2.私たちは、いじめられている人を助けます
3.私たちは、一人ぼっちの人を仲間に入れます
4.私たちは、もし誰かがいじめられていれば、それを学校の大人や家の大人に話します(たとえば教師や親に知らせます。自分がいじめられているときも同様です)

(名古屋市教育委員会資料より)


 この4つのルールを共有し、定期的に保護者と教員が集まってお互いの認識を確認し合うのです。もちろんこれだけでは不十分ですが、重大事態になる前に必ず介入がなされるという環境をつくるためにはぜひ参考にしたいと思うほど素晴らしいプログラムです。

対立構造ではなく「One Team」



--海外でも「いじめ」は共通の問題なんですね。こうしたプログラムが、皆で一緒に考えるきっかけになればいいなと感じます。そうは言っても教育現場は忙しいので、学校や教育委員会だけで抱え込まず、竹之下さんたちのような民間の力をもっと活用してほしいですね。

 プログラムをつくって提供してあげるほかにも、テクノロジーで救ってあげることもできるんじゃないかと思っています。私の大好きなアプリのひとつに、保健室の先生が相談に来た生徒の心の状態を鑑定するというアプリ「RAMPS」(Risk Assessment of Mental Physical Status)があります。これは自殺リスクのアセスメントツールで、自殺の可能性を判定されるのですが、もしそういう重い判定が出たら、本当にいじめかどうか白黒付ける等と悠長なことを言ってないで、その瞬間からその子にみんなで関わろうっていう動きができると思うのです。もちろん、最後に救えるのは人の力だと思うのですが、きっかけはこうしたテクノロジーの力を借りても良いのではないかと思います。「いじめられてるんじゃない?」と聞いても否定されて終わる場合に、こういうアプリの活用も選択肢のひとつに加われば、救える可能性は一気に広がりますよね。

--テクノロジーがいじめ問題解決の一助になるとは、期待が膨らみます。まだまだいじめを「タネ」の段階から救える可能性は高められそうですね。竹之下さんは今後の活動を通じて、どんなことを実現したいですか。

 誤解を恐れずに言えば、いじめが社会課題ではない社会を目指したいです。少なくとも今の定義だと、いじめはゼロにはなりません。むしろいじめがゼロというのは、何に対しても子供が苦痛を感じない、あるいは子供が苦痛を苦痛と言えないようなおかしな社会です。

 では、いじめはゼロにならないことを前提としたときに、子供たちが苦痛に感じたらいつでもどこにでもちゃんと受け皿が用意されている。そしてそこには、望まぬ不登校や自殺などの重大事態に陥ることなく、皆がリカバリーできる安心感がある。そんな社会が実現すれば、いじめは社会課題ではなくなると思うのです。そのために、法改正やプログラムの開発、テクノロジーの活用といったさまざまな方法を使っていきたいし、校長、先生、家庭、教育委員会、第三者それぞれの役割への認識のばらつきを揃えて、対立構造ではなく「One Team」にしていきたい。

 子供たちが「学校に行きたくない」とか、「死にたい」という気持ちも、もっと気軽に言える世の中にしていきたいです。

--今日は貴重なお話をありがとうございました。

 「いじめ」とは、相手が心身の苦痛を感じているかどうか。この認識さえまだ広く社会全般には行き渡っていない。10年前施行された法律も十分な実効性があるとは言えず、今もなお社会から孤立を強いられ、苦しんでいる被害者とその家族は日本中にたくさんいる。

 「いじめ」の解決が決して家庭や学校、住む場所などによる「ガチャ」にならないよう、ノルウェーのプログラムのような国家レベルの取組みが日本にも広がり、これ以上、苦悩の果てに自死を選ぶ子供が決して出ることのない社会への改善が急務だ。
《加藤紀子》

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