自身の主宰するゼミから、IT業界はじめ日本を支える実業家や社会起業家などを多数輩出してきた鈴木寛 東京大学・慶應義塾大学教授。文部科学副大臣も務め、アクティブ・ラーニングの導入を日本でいち早く推進。学習指導要領の改訂、大学入学制度改革にも尽力してきた日本の教育政策の第一人者が語る「VUCA時代の教育革命」とは。
この1年間で教育に起きた最大の変化とは
鈴木氏はこの1年間、教育で起きた最大の変化として「探究の普及」をあげた。
たとえば全国高校生マイプロジェクトアワード。マイプロジェクト(以下、マイプロ)とは、高校生が身の回りの課題や関心をテーマに正解のない問いに向きあい、探究すること。マイプロジェクトアワードは、プロジェクトを立ち上げ、小さくても実際に起こす「アクション」と、プロジェクトに対する「主体性」を育んできた全国の高校生たちが集まり、発表や対話を通じて次の一歩を考えるイベントだ。
鈴木氏は、「マイプロの参加者数は10年前にはわずか18名。ところが昨年は1万6千人、今年は7万人が参加しており、指数関数的に増えている。高校でも昨年から新学習指導要領で総合探究が必須になったこともあって、全国の高校生の間に探究が一気に普及している」と指摘。
加えて、三菱みらい育成財団をはじめとした民間の資金による探究活動への支援や、教育・地域魅力化プラットフォームが推進する全国の中山間・離島地域への国内留学のように、探究的な学びを深めるための新たな進路の選択肢など、探究の普及にはさまざまな追い風が吹いていることを紹介した。
さらに最近では全国的に、これまで難関大学への入試対策に力を入れてきた進学校でも探究へのシフトが起こり始めているという。きっかけは、2020年の大学入試改革だ。鈴木氏によると、これには次のような背景がある。
「大学入試が変わらない限り、学習指導要領が変わっても高校の現場はあまり変わらなかった。ところが2020年の大学入試改革で、共通テストでは思考力と判断力が問われるようになり、テクニックだけでは得点しづらい試験に変わった。また、国立大学では総合型選抜による入学者の比率を3割にするという目標を掲げている。総合型選抜では探究活動や課外活動が評価される。私立大学を含めた大学入試での思考力と判断力の重視、総合型選抜への傾注は、高校生の学びに大きな影響を与えている」(鈴木氏)
今後は高大接続が拡充していく流れもあり、「これまでのように高3になると一斉に入試のための勉強に切り替わるのではなく、むしろ探究を一層加速させ、その内容に磨きをかけていこうという学びのスタイルに変わっていくだろう」と述べた。
なぜ今、「探究」が大事なのか
そもそもなぜ今、探究への取組みが重視されるのか。鈴木氏は、アメリカ国立訓練研究所による「ラーニングピラミッド」という学習モデルの研究をもとに、新しい学習指導要領が探究へと舵を切った理由を説明した。
このモデルによると、学習の定着率は、20世紀型の受動的な学びのスタイルだと低く、特に講義(レクチャー)型の授業だとわずか5%にとどまる。ところが、グループで討論したり、自ら体験したり、他の人に教えるという21世紀型のアクティブ・ラーニングだと定着率が非常に高くなることが示されている。
「討論や体験、人に教えるといったスタイルだと一見回り道に感じるかもしれない。だが、実はきわめて効果的なのだというアカデミックなリサーチに基づいて、探究をベースにした学習へとシフトさせている」(鈴木氏)
また、アカデミックなエビデンスとしてもうひとつ、前・京都大学高等教育研究開発推進センターの溝上慎一教授による研究を紹介。これは、高校2年生の学習や学校生活、キャリア形成などを通しての成長を、大学生・社会人まで約10年間追跡した調査プロジェクトだ。これによると、高校2年生の時点で授業外学習を行い、キャリア意識が高く、対人関係、自尊感情が良好なタイプ(多くは部活動も行っている)は、大学1年時の学びと成長につながることがわかったという。
「慶應大学でも、AO入試とAO入試以外での学生の入学後を追跡調査しているが、1年生時にはAO入試の生徒がいわゆる20世紀型の学力で多少劣ることはあるものの、2年生になれば逆転する。高校時代のような大事な時期にこそ、探究心やリーダーシップ、計画実行力などを身に付けるための活動に時間を費やすべき。そういった改革を目指さなければならない」と鈴木氏は強調した。
さらに、文部科学省が平成13年に出生した子供とその保護者を18年間追跡した調査データにも触れ、「小学生のころに体験活動に恵まれていた子供は、家庭の環境に関わらず、高校生になって自尊感情が高くなる傾向にある」ことを紹介。幼いころから既存の知識を覚えて再現し、苦手をなくすスタイルの勉強ばかりに労力をかけるのではなく、体験を通じて好きなことを磨き、夢中になって取り組む力の重要性を訴えた。
世界は250年ぶりの変革期~今こそ子供たちには「空白」と「自由」を
一方で今、ChatGPTのような生成AIの登場で世界は騒然としている。教育も例外ではない。今回は産業革命以来、250年ぶりの大変革期ともいわれ、インターネットが登場したときを上回る変化が起こるだろうと鈴木氏は予測する。
「シンギュラリティ(AIが人類の知能を超える転換点)は我々の想定以上のスピードで前倒しになっている。過去に文字化・数値化されたものはすべて生成AIで対応できるので、マークシートで測られる知識は完全に生成AIに取って代わられる。本来であれば、工業社会での大量生産を前提にした従来の学力志向から20世紀のうちに脱却すべきだったが、我々はできなかった。ようやくChatGPTの到来でその問題の深刻さに気付いた。日本の教育界は今、そのツケを払っていることを重く受け止めなければいけない」(鈴木氏)
これから鍛えるべきは、生成AIを使いこなす力。そのためには生成AIにどれだけ的確な問いを投げかけられるかだと鈴木氏は訴えた。
「問答や、他者との討論をもっと増やしていかないといけない。生成AIが主導していく時代にあって、文字化・数値化できないコト・モノが、人間の仕事として残っていくということになる」(鈴木氏)
そしてこのような時代だからこそ、我々に求められるのは幸福の再定義であると鈴木氏はいう。幸福の再定義と新しい価値観の創造は、人間ひとりひとりがなしえる、人間にしかできない営みだ。
「教育においても、人がより良く生きるウェルビーイングを向上させる資質と能力を身に付けることが目標。そのためには自分の人生を自分で選べる『エージェンシー』が非常に重要になってきている」(鈴木氏)
「エージェンシー」とは、2019年にOECDが発表した「OECDラーニング・コンパス(学びの羅針盤)」の中心となる概念で、「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義されている。
「学校とは、放っておくと獲得できないものを提供する場所。そこで今、子供たちにもっとも必要なのは空白、あるいは自由だ。
好きなこと・得意なことは誰にでもすぐに見つかるものではない。この情報過多の時代、特に日本では時間的・空間的自由をもっと作り出さなければならない。子供たちに空白と自由を提供することが、思う存分好きなことに没頭し、学べる機会の提供に繋がる。これこそがまさに探究なのではないか」(鈴木氏)
講演の最後に鈴木氏は、子供たちの探究にとって空白・自由が保障されたベストな環境を実現するためには、「学校教育は講義(レクチャー)中心から脱却し、先生と生徒、生徒同士、あるいは生徒と先輩といった1on1を増やしていくことを実現すべき」と結んだ。