東京大学大学院教育学研究科附属 発達保育実践政策学センター(東京大学Cedep)とポプラ社は共同で、子どもを取り巻く読書環境の改善を目的に、「本」の価値を科学的なアプローチで明らかにする「子どもと絵本・本に関する研究」プロジェクトを2019年8月より行っている。今回のシンポジウムでは、「デジタル時代における本の価値」「パンデミック下における子どもと本のかかわり」などに関する研究内容とこれまでの成果が紹介された。
シンポジウムの開会では、ポプラ社の千葉均社長が登壇。創業以来、子どもたちが本好きになることが幸せに近づく大きな一歩になれば良いと信じ、その信念に基づき出版活動を行っているというポプラ社。幸せとは決してお金をたくさん手に入れることではなく、テストで良い点を取ることでもない、千葉社長が考える幸せは、「自然環境とつながっている実感」「生産活動とつながっている実感」あるいは「人とつながっている実感」だという。
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ところが同じ環境にあっても幸福だと感じる人もいれば、そうでない人もいる。つまり、幸せだと感じる力、幸福の受容力というものがあるのではないか、さらに言えば、幸せを作り出したり、幸福を開拓したり、そういう力があるのではないか。この「幸福力」の違いというのはどこから生まれるのか、鍵は幼少期にあると千葉社長は考えている。「東京大学Cedepとポプラ社はこの問題について1つずつ紐解いていきたい」と語った。
プロジェクトの概要について、東京大学Cedepセンター長の遠藤利彦教授が説明した。「子どもと絵本・本に関する研究」プロジェクトは、現在のデジタル時代にあらためて本の価値役割を科学的に見直すことを目的としている。研究プロジェクトを通じて「心理的な視点から実験的に明らかにする」「比較文化あるいは教育史という観点から文献レビューを通じて本の役割価値を見出す」「調査を展開する中で本の役割を見出す」という3つのアプローチを通じて絵本・本がもっている可能性や課題を明らかにしていく。
絵本に関するオンライン調査
「絵本およびデジタル絵本共同視聴時における保護者と子どもの相互作用:オンライン実験による検討」と題して、東京大学Cedep特任助教の佐藤賢輔氏が研究発表を行った。現在実施中の実験のため、今回は概要のみ紹介。コロナ渦では、対面でのインタビューや観察、実験が困難なことから、対面せずにデータを収集する「オンライン実験」を行っている。ビデオ会議システム「Zoom」を使って会話をしながら、自宅のノートパソコンの前で親子一緒に絵本を読んでもらったり、画面越しに質問・回答を行ったりする。その間の保護者と子どもの行動、相互作用をZoomの録画機能を用いて記録している。

しかし、実験のオンライン化にはさまざまなハードルがあり、オンラインでは準備に時間がかかるため、被験者である子どもが実験に対してモチベーションを最後まで維持するのが難しく、スムーズなやり取りが難しかったという。そこで、保護者ガイドを事前に読んでもらい、子どもにはビジュアルで選択肢を示す、スライドショーでカウントダウンするといった工夫をしている。また、オンライン実験では、視線を追跡するアイトラッカーなどの実験器具を扱えなくなってしまうため、実験の映像記録をもとに視線や表情などを詳細に分析する予定。このオンライン実験は、2020年度内に完結し、2020年度前半に公表予定。これに続くものとして、さまざまな実験をおもにオンラインで計画しており、一連の実験を通じて子どもにとって絵本・本の価値、機能、その固有性について、デジタルメディアとの比較から検討していく。
保育における子どもの読む権利の展望
続いて、「保育における子どもの読む権利(Children’s Rights to Read)の展望」と題して、東京大学大学院教育学研究科博士課程/日本学術振興会の若林陽子氏が文献研究 を発表した。読書は、乳幼児の生活においてどのような活動として意義づけられるのか。なぜ読書が重要なのか。この研究では、読書することを乳幼児自身がもつ権利のひとつとして意味づけ直すという考え方を提案する。

国際リテラシー学会(ILA)が2018年に発表した「Children’s Rights to Read(子どもの読む権利)」では、「紙だけでなくデジタルメディアにもアクセスできる」「読むものを自分で選べる」「理解目標やさまざまな条件を与えられずに、読むことそれ自体に浸ることができる」「読むために設定された時間以外に、ひとりあるいは他者と、自分の読みたいものを読む時間を教育施設内外においてたっぷり過ごせる」など10か条が宣言されている。つまり「子どもが読むもの・読み方に関する決定権をもって読むこと自体を楽しむ権利が認められている」「読む主体は子ども自身であり、読むことを通して子どもは社会的・精神的な幸福を得るべきであるという点が改めて確認されている」と言える。
幼稚園や保育園では、子どもの読む権利がどのくらい保障されているだろうか。これまでにCedepが行った調査によると、保育者や園長、主任が施設で購入する絵本・本の主たる選び手になっていた一方で、子ども自身が絵本選びに参与することはそれほど多くないことがわかった。今後の調査では、どのような絵本・本を、園やクラスにどのように配置したり、活用したりしているのかなど、絵本・本環境の質の具体的な側面について、さらに検討を加えていく予定としている。
コロナ渦における子どもの絵本・本環境の実態
3件目は「子どもの絵本・本環境に関する調査結果報告」と題して、東京大学Cedep特任助教の高橋翠氏が「子どもの絵本・本環境の実態:家庭園地域の図書館調査の知見から」「コロナ禍における子どもの絵本・本環境の実態を探る」の2つの観点で調査研究を発表した。子どもが本・絵本に出合う場は、家庭だけでなく、保育・幼児教育施設(認可保育所、幼稚園、認定こども園)、学校や図書館などの近隣施設があげられる。
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コロナ渦で子どもが絵本・本に出合う機会はどうなっているのか実態を探るため、緊急事態宣言発令期間中に、乳幼児の保護者を対象としたWebアンケートを実施し、就学前の0~6歳の子どもをもつ保護者の回答2,679件を分析した。調査結果から、緊急事態宣言下に読書時間や読み聞かせ時間は「かなり増えた」8.2%、「やや増えた」26.3%、「変わらない」57.7%、「やや減った」4.2%、「かなり減った」1.4%、「無回答」1.4%と、34.5%の家庭で増加。一方、それ以上にスクリーンタイムが増加しており、「大幅に増えた(プラス2時間以上)」31.6%、「かなり増えた(プラス1時間~2時間未満)」25.6%、「やや増えた(プラス30分~1時間未満)19.3%と、76.5%の家庭でスクリーンタイムが増えていた。
公立図書館・図書室調査結果から緊急事態宣言下において、貸し出しサービスが利用できないことがあった図書館・図書室は全体の88.2%にのぼる。図書館・図書室担当者から「感染症対策関連での業務負荷の増加」「感染症対策費用が生じ、その分、書籍購入費用が少なくなっている」など、さまざまな課題があるという。
子どものための読書環境構成のデザイン原理
3件の研究発表を受けて、東京大学大学院教育学研究科長の秋田喜代美氏が指定討論をした。今回のシンポジウムは、家庭や園、図書館でさまざまな絵本・本の価値をあらためて考えるのがねらい。秋田氏は東京大学Cedepの理念的特徴を「メデイア(絵本・本)はメッセージ」「子どもの権利、子どもは市民」「多様性と包摂性の保育学に基づき、ひとりひとりのかけがえのない尊厳を大事にする」「多様な研究方法にもとづく実験・調査・実践という実証研究にもとづく社会的な提言に向かう」の4つにまとめた。今回のシンポジウムが、これからの子どもの読書生活のニューノーマルを問うていくきっかけとなり、東京大学Cedepは多様な研究アプローチで絵本・本研究へ挑戦していく。

秋田氏は、OECD Education 2030を参考に「子どものための読書環境構成のデザイン原理」を作成した。1冊の本を読む過程で親子が「共同注視」「聴き合う」「夢中」になるという環境をどのように作るのか、年齢や時間を超えて「繰り返し忘れられない経験」が重要であり、「良質な作品との出会い」をどう保障し、そのために子どもが自分で本を選べる「主体的選択」、そのときに家庭や園、図書館の空間を超えて「読む、表す、関わるなど真正な活動への参加」、公共図書館から園への図書の貸出といった「柔軟な流通・交流」「人がつながりあう」が重要だと考えている。それによって誰もが参画し、誰もが笑顔になって巻き込み、お互いが巻き込まれていく「誰もが笑顔 巻き込み力」、お互いの主体性をお互いが引き出し合う「共同主体性CoAgency」、居心地や幸福「居心地Well-being」ということを目指した読書環境の構成が重要ではないか、と秋田氏は提唱した。
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シンポジウムの閉会は、東京大学大学院教育学研究科 准教授/東京大学Cedep副センター長の浅井幸子氏が登壇。今回のシンポジウムを通して「子どもたちの幸せ」が中核になっていくことが確認された。「家庭や園・図書館という子どもをめぐるさまざまな社会的な関りやネットワーク、それは物質的なネットワークでもあると同時に人的なネットワークでもあり、その中で幸せをどうやって保障していくのか考えていかなければならない。また、コロナ渦では、子どもの教育に格差が拡大していく側面があるので、どの部分で保障が必要になっていくのか考えていくべき問題だと感じている。これからも皆さんと一緒に子どもの幸せと絵本・本について考えていきたい」と締めくくった。