第17回「EDIX東京」が、2026年5月13日から15日まで東京ビッグサイトで開催された。本記事では、最終日に実施された中川翔子氏(歌手、タレント、声優、俳優、イラストレーター)と石井しこう氏(不登校ジャーナリスト)による特別講演「一人ひとりに合った学びの選択肢 — 不登校経験から見えた、『好き』を伸ばす学びとキャリア」についてレポートする。
不登校を経験した両者の視点から提言された「好き」を起点にした成長のあり方、子供に寄り添う関わり方、多様性を前提とした教育とは。
スクールカーストによる閉塞感と、自己肯定感の防衛
中川氏は、中学校進学と同時に直面した「スクールカースト」の洗礼を振り返った。小学校までは絵を描くことで周囲と繋がり、学校は楽しい場所だったが、中学ではその個性が「絵を描いていてキモい」と否定の対象に変わったと言う。休み時間の5分が地獄のように長く感じられ、修学旅行ではグループから疎外されるなど、学校は学びの場ではなく、いかにして時間をやり過ごし、「どう生き延びるか」を考えるサバイバルの場となった。

精神的に追い詰められた中川氏は、電車のホームで死を意識するほどの絶望を味わったと語る。「当時は母親にすら本心を打ち明けることができず、『恥ずかしい』『心配をかけたくない』という思いからどんどん孤独を深めていきました。『もう死にたい』と思うようになり、学校にも徐々に行けなくなっていきました」(中川氏)
不登校や引きこもり状態にある子供に対して、周囲の大人は「よかれと思って」アドバイスを送りがちで、時に相手を否定する言葉になり得ると石井氏は指摘する。中川氏は、「よかれと思って」投げかけられた、「私もそうだった」「卒業すれば終わる」といった励ましの言葉は嬉しくなかったと自身の経験から語った。
一方で、救いとなったのは、スクールカーストに関係なく隣にいてくれた友人「キムラさん」の存在だった。キムラさんは中川氏の靴箱が荒らされているような惨状を知りながらも、あえてその話題を掘り返さず、ただ隣で漫画の話をしてくれたと言う。後年、中川氏が「損するかもしれないのになぜ一緒にいてくれたの」と問うと、彼女は「楽しかったからだよ」と答えたそうだ。「ただ隣にいて話を聴く」という姿勢が、孤立した心にとって大きな支えとなることが、両者の経験から伝わってきた。

通信制高校での多様性の発見、程良い距離感
不登校になった中学卒業後、中川氏は母親が探してくれた通信制高校へ進学する。そこにはギャルやオタク、さまざまな背景をもつ生徒が混在する「カオスな多様性」があった。互いに干渉しあわない環境の中で、中川氏は初めて「息が吸える」と感じ、死の誘惑から解放されたと言う。「ギャルが、『絵めっちゃうまいじゃん』と話しかけてくれて。怖かったけれどカラオケに行こうと誘ってくれて、生まれて初めてカラオケに行けたんです」(中川氏)
レポート提出を中心とした柔軟なシステムに加え、生徒とちょうど良い距離感で接する教員たちがいた。推薦で大学に行きたい人はいるかどうか確認したり、ひとりひとりの希望の進路にも寄り添ってくれたり、いじめにあった中学時代の先生の事務的な対応とは違う、先生の関わり方の程良さを感じたと中川氏は言う。
中川氏と石井氏は、ある企画で出会った、絵を描くことが好きだった男子高校生のエピソードを披露した。中学時代のトラウマで油絵が描けなくなっていた彼は、中川氏にその苦しみを「聴いてもらえた」と感じた翌日、たった一晩で油絵を仕上げるという爆発的な変化を見せたと言う。石井氏は、この事例は「信じて待つこと」と「聴くこと」の重要性を物語っている、10代は、たった1日の出会いや「聴いてもらえた」という実感だけで、爆発的に進化する力を秘めていると指摘した。

不登校から通信制高校に進学した中川氏にとって「好き」は常に大きな支えとなった。かつて不登校の期間を「黒歴史」として悔やんでいたが、30代を過ぎてからその捉え方が一変したと言う。「自宅で没頭した絵やアニメ、音楽こそが、現在のキャリアに直結する『夢の種まき』だったんだと確信に変わっていきました」(中川氏)
石井氏は、子供にとって必要な要素として「居場所」と「出番」をあげた。中川氏にとっての出番は、小学校時代の恩師が「あなたの個性だ」と絵を褒めてくれた経験に遡る。「得意なことをよく見ている先生でした。『文集やしおりの表紙は中川だよね』と任せてくれました。イラストや漫画以外のオリジナルタッチの絵を描いたときにも『上手いね、絵は続けなさい』と真剣に言ってくれたんです。何十年もそういう心からの大人の言葉は心に残ると思います」(中川氏)
石井氏は、「大人の心からの肯定的な、本気で向きあう姿勢、取り繕わずに褒めてくれるひと言が人生を左右する。そのひと言が子供の中で「魔法の呪文」として生き続け、困難な時期を支える力となる」と同じ意見を示した。
不登校は「好きのチャージタイム」
石井氏は、不登校の本質は「学校に行かない問題」ではなく「学校に選択肢がない問題」であると定義し、多様な学びの形が認められる社会の必要性を説いた。その議論の中で、「不登校という言葉だけでは表せない、その子自身の人生や主体的な選択を捉えきれないという違和感に触れ、中川氏に「この状態を別の言葉で表現するとしたら、どのような言葉が思い浮かぶか」と、新たな呼び方を問いかけた。
中川氏は、自身の不登校期間を「停滞」や「否定すべき黒歴史」ではなく、未来の自分を助けるための「好き」を蓄える「チャージタイム」や「レベル上げタイム」と定義し、肯定的に捉えてほしいと呼びかけた。
一方で石井氏は、海外で使われる「ホームスクーラー」という呼称や、当事者の子供たちが自嘲気味に使う「自宅警備員」といった言葉をあげ、画一的なラベリングに捉われない多様な在り方を示唆した。さらに現在は、SNS等の発展により自己表現の場が飛躍的に増加している。現代の子供たちは、ネットを通じて自らの境遇を冷静かつクリエイティブに発信する力を備えており、「不登校=暗い、恥ずかしい」という旧来のイメージを自ら塗り替えつつある。こうした発信を通じ、傷ついた経験を「自分自身のままで良い」という自己肯定感や、「誰かに優しくするための光」へと転換することが可能になっていると語った。

中川氏は、自身の不登校経験に加え、母となった現在の視点から、子供たちが「笑顔になれる道」を見つけることへの願いを語った。先生方の放つ言葉ひとつで、子供の人生の光は灯りも消えもする。その重みを強調しつつ、教育現場への深い尊敬を示した。
子供の中にある「好き」の光を見つけ、本心の言葉で褒めることが、一生を支える魔法になる。不登校を単なる停滞ではなく未来への「チャージタイム」と捉え直し、10代の爆発的な変容力を信じ、誰もが「生きていて良かった」と思える多様な学びの選択肢がある社会の実現を、両氏は強く発信し、講演を締めくくった。












