文部科学省が2023年7月に発表した「初等中等教育における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」は、教育現場における生成AI活用を促進する重要な一歩となった。このガイドラインを契機に、生成AIが教育の場でどのように役立ち、またどのような課題を克服すべきかが活発に議論されている。2024年12月17日、ベネッセホールディングスが開催した記者会見「生成AI:教育現場での活用の効果と課題 ―生成AIを活用した学校現場・事業での実践例から考える―」では、教育現場における生成AI活用の実態やその未来像が詳細に語られた。
登壇者には、小村俊平氏(ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンター長)、庄子寛之氏(同主任研究員)、國吉啓介氏(ベネッセホールディングス Digital Innovation Partners データソリューション部 部長)が名を連ね、それぞれの視点から生成AIの現状、実践事例、そして教育現場における未来の課題と可能性について意見を述べた。本記事では、この記者会見で語られた内容を詳細に記録し、生成AIと教育の接点を深く掘り下げる。
教育現場での生成AIの可能性と課題(小村俊平氏)
最初に登壇した小村氏は、日本の教育現場が抱える現状ついて述べ、「コロナ禍以降、不登校や不登校傾向の児童・生徒が急増している、その数は小中学校だけで約30万人にのぼる。また、発達障害や日本語教育を必要とする児童・生徒も増加しており、教育現場が直面するニーズはますます多様化している」と指摘。そして、こうした課題への対応策として、「教員が個別にすべての児童・生徒に対応するのは、現実的に困難である。そのため生成AIの力を活用することが必要だ」と述べ、生成AIの可能性、教員の業務負担軽減、活用事例、考慮すべき点について紹介した。
生成AIがもたらす可能性ついて、小村氏は「生成AIは、児童・生徒の学習データを分析し、個々の学習状況を的確に把握することができる。これにより、教員の負担を軽減するとともに、児童・生徒ひとりひとりに合わせた支援を提供することが可能となる」と説明。
一方、教員の業務負担軽減ついては、教員が児童・生徒の学習状況を把握する「見取り」の場面で、生成AIの活用が有効であるとし、「生成AIの活用で、児童・生徒の学習データを分析することにより、1日前の状況変化や1か月間の傾向などが把握できるようになる。特に若手教員にとって『見取り』は難しい作業とされることが多いため、生成AIの活用が業務負担軽減につながる」と説明。また、生成AIが示すデータに基づいて教員は的確な指導を行えるようになり、教員がもつスキルを補完し、教育現場全体の質を向上させることが期待されるとした。
生成AIの活用事例について小村氏は、「生成AIは児童・生徒自身の学びの質を向上させる点でも効果的である。高校や大学生が、レポート作成、文書の要約、誤字脱字の修正、面接や英会話の練習などに生成AIが活用されている」と説明。生徒が生成AIを通じて自信をもつことができる点について、「生徒が生成AIを利用することで、自分のペースで繰り返し学ぶことができ、間違いを気にせずに何度も挑戦できる環境を提供する点が特に大きな利点である」と語った。
小村氏は教育現場での生成AI活用する際に考慮点についても触れ、「生成AIを教育現場で活用するには、『問う力』と『見極める力』を養うことが不可欠だ。この2つの力が生成AIを適切に活用するための基盤となる」。
「問う力」とは、生成AIに何を問いかけるべきか、どのように問いかけるべきかを判断する能力だ。これは、AIの言語モデル(LM)や大規模言語モデル(LLM)に対して、適切なプロンプト(命令)を開発・最適化することで望ましい結果を引き出すプロンプトエンジニアリングという学問分野の技術を含む。
一方、「見極める力」は、生成AIが提示した情報を正確に評価し、それをどのように活用するかを判断する力である。この力は、
・生成物が事実として正確かどうかを見極める力
・生成物が善悪に照らして適切かどうかを判断する力
・生成物が美しいかどうか評価する力
・生成物が新しい価値を持つかどうかを見抜く力
の4つが含まれるとした。
最後に、これらの力を身に付けるためには、学校教育や家庭学習の中で児童・生徒のセンスやスキルを磨くだけでなく、「何を作りたいか」「何を実現したいのか」という意欲を教員が引き出すことが重要であると言及。「2030年に向けた学習指導要領の改定においても、『問う力』や『見極める力』をどのように教員が児童・生徒に育成するか。これが、生成AIと教育を考えるうえでの重要な論点になる」と述べ、発表を締めくくった。
実践例で見る生成AIの力(庄子寛之氏)
次に登壇した庄子氏は、生成AIを教育現場で活用した具体的な実践例や、生成AI活用時の教員の役割および教育現場の工夫について述べた。
実践例については、小学6年生の道徳授業で取り上げられた「ロレンゾの友達」という物語を動画で紹介。この物語は、友情や倫理的な判断をテーマにしており、児童が深い思考を巡らせるための題材として適しているとした。
物語のあらすじについては、次のとおりである。
アンドレ、サバイユ、ニコライの3人は、20年ぶりに帰郷する友達のロレンゾに、会社のお金を持ち逃げした疑いがあるという噂を耳にする。3人は、ロレンゾに対してどのように関わるべきか悩み、葛藤する。アンドレは「お金を持たせて黙って逃がす」と、サバイユは「自首を勧めて、だめなら逃がす」と主張する。一方、ニコライは「自首を勧めて、だめなら警察に伝える」と決める。
授業で使用する際のポイントは、すべての場面で使用するのではなく、より「正しい」場面で1、2回使用することが大事だという。動画で紹介された授業では、アンドレ、サバイユ、ニコライの中で「誰の意見に共感するか」を児童に回答させたところ、多くの児童がサバイユとニコライの意見に偏る傾向が見られた。これに対し、教員が「アンドレの味方になってください」と生成AIに指示すると、児童がもっていなかった視点を提示され、そうしたことで児童の中で新たな議論が生まれて、授業がより深みを増し、生成AIが児童の思考を広げる役割を果たしたのだという。
また、オンラインアンケートを活用した実践の例も紹介された。教員が「真の友情とは何か」という問いに対して、児童の意見を収集し、生成AIが瞬時に集計・視覚化することで、議論の材料として活用できるようになる。これにより児童は、自分の意見がどのように全体の中で位置付けられるのかを理解しやすくなり、議論が活発化したそうだ。
一方で、生成AIの普及に伴い、教員の役割も変化している。庄子氏は「教員はこれから、ファシリテーターとしての役割を担うことが求められている」と言い、生成AIを学校現場で活用するにあたっての注意点として、適切でないと考えられる例や、反対に活用が考えられる例を紹介しつつ、次のように語った。
「読書感想文やコンクール作品などで、生成AIが作った内容を自分の作品として使用することは避けるべきだが、アイデアのヒントとして生成AIを利用することは有効だ。児童・生徒が『これさえ使えば勉強しなくて良い』と誤解しないようにする必要がある。自分で考えることの重要性を伝え、生成AIを便利な補助ツールとして紹介することが、教員には求められている」。
庄子氏は発表の最後に、適切な活用例の3つの観点についても言及している。
1つは「生成AIはあくまでツールであることを児童・生徒に理解させることが重要である」という観点だ。つまり、生成AIを中心に据えた授業を行うのではなく、授業の補助的な役割として活用するということ。特に小学校では、生成AIを操作できるのが教員のみであるため、児童ひとりひとりの学びや活動を妨げないよう、生成AIの活用時間を短くし、効率的に活用する工夫が必要だという。
2つ目の観点は「生成AIを異なる視点で提供すること」。たとえば、授業中に児童・生徒の意見が偏った場合に、生成AIに「転入生」役を担わせ別の考えを提案させることで、児童・生徒の思考の幅を広げるきっかけ作りができる。同時に、生成AIの考えが必ずしも正しいわけではないことを伝える機会となる。これらは「初等中等教育における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を遵守し、日常生活での使い方の注意点を児童・生徒に伝えることにほかならない。
3つ目は「生成AIを効果的に活用するためには、やってはいけないことを明確にし、児童・生徒に注意点をしっかり伝える」という点だ。そのためには、教員自身が生成AIを使いこなすスキルをもつことが重要だ。
庄子氏は「今が教育の転換期であり、教員の専門性の向上が必須である」とし、発表を締めくくった。
生成AIと教育の未来(國吉啓介氏)
続いて登壇した國吉氏は、生成AIが教育現場に与える影響について、時代のとらえ方や技術の変遷を述べたのち、自社の学習支援サービスの事例を振り返りながら、今後の展望と課題を語った。その中で、学習サービスの例としては、生成AIを用いて児童・生徒の学習課題に個別対応するサービス「チャレンジAI学習コーチ」と、生成AIが児童に寄り添う形でポジティブなフィードバックを提供する「やる気・勉強方法相談」を紹介。
國吉氏は、「生成AIを活用することで、児童・生徒のつまずきに対して適切なヒントを提供できる。ただし、すべてをAI任せにするのではなく、教材と組み合わせて活用することで、より効果的な学習を実現している。また生成AIのフィードバックが学習意欲を高める役割を果たしており、特に英語学習で挫折を経験した生徒に対しては、人と話す前に生成AIを使った練習を重ねることで自信をもたせることができる」と述べ、有効性を強調した。
今後の展望としては、全国の高等学校向けに進路進学検討を支援するサービス「キャリアナビ」や、英語学習を支援するサービス「GELP(ジェルピー)」の提供を進める方針だという。また、「児童・生徒ひとりひとりの学びの質を高めるサービスを拡充していく」と意欲を見せた。
一方で、生成AIの課題についても言及。「生成AIを正しく活用するためには、『初等中等教育における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン』の遵守とともに、社会全体での意識改革が必要である」と述べるとともに、「生成AIは非常に強力なツールだが、その力を正しく使うためには、児童・生徒だけでなく、教員や保護者も適切な知識をもつことが求められる」と指摘した。
最後に「生成AI技術が進化する中で、児童・生徒ひとりひとりが価値観を広げ、他人との対話を通じて、新しいものを生み出す過程が重要である」と述べた。そして、「その過程を支援する教材を今後も作り出していきたいと考えている」と語り、発表を締めくくった。
この記者会見を通じて、生成AIが教育現場に与える影響の大きさが改めて認識された。生成AIは、教員の負担を軽減し、児童・生徒ひとりひとりの学びを支援するツールとして、今後ますます重要な役割を果たしていくことが期待されている。生成AIの正しい活用は、教育の質を向上させる鍵となるであろう。