全社4万人のデジタル人材育成に取り組む旭化成。人的資本主義に基づくオープンバッジを用いた先進的な人材育成の取組みは、すでに100社以上が参考にしているという。今回は、IBMから旭化成に移り、DXを統括されている久世和資氏に、ネットラーニング・ホールディングス取締役副社長兼オープンバッジ・ネットワーク常務理事の吉田俊明氏が取材。オープンバッジを導入した経緯と将来構想についてお話をうかがった。
オープンバッジ活用で社内のデジタル人材育成を推進
吉田:まず、人材育成にオープンバッジを採用された背景や経緯をお話しいただけますか。
旭化成 久世氏:私は2020年の7月に、IBMから旭化成にやってきました。旭化成は、2015年あたりからDXに取り組んでいて、2020年にはすでに400近くのDXテーマが推進されていました。これをさらに加速するには、全社員がITやデジタルについて一定レベルのリテラシーを身に付け、これらの取組みの内容や重要性を正しく理解できることが必要です。DXを行うには、「人」「データ」「組織風土」という3つが大切で、これらすべてにオープンバッジが役立ちます。
日本では、スキルや経験値などの見える化がまだあまり進んでいません。オープンバッジの良いところは、全社員にITリテラシーを高めてもらうにあたり、学びが修了したことが見える形で残り、モチベーションにつながるという点です。
自分がこういうスキルをもっている、という「見える化」は、社内はもちろん、社外に対してもきわめて重要です。ITやデジタルの領域に関しては、社外でもさまざまなオープンバッジが発行されていますから、社外のオープンバッジも取得してくれるのではないかとも期待しています。
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吉田:全社的なDXを通して組織風土を変えていく中で、何か手応えを感じられている部分はありますか。
旭化成 久世氏:社内のオープンバッジに関しては、レベル3までは全員に取得してもらいたいと思っています。レベル1は4つのコースがあり、4万人の社員のうち約26,600人が修了しています。レベル3に関しては、Python等のプログラミングを含む9コース(取材実施時点。現在は11コース)のうち1つだけ取れば良いのですが、その修了率も全社員の48%に達しています。
さらに、レベル3の9つのコースすべてを修了した社員を「9 Mastered」とよび、特別なバッジを発行しています。積極的に取り組む社員と座談会を開いて社内報に掲載するといった取組みもあります。
工藤幸四郎社長は、これをきっかけに社員にデジタルへの興味をもってもらいたいと述べています。旭化成は、「マテリアル」「住宅」「ヘルスケア」という3つの事業領域がありますが、デジタルという共通言語で会話ができるというメリットもあります。
柔軟でスピード感をもったDX
吉田:今後、レベル4やレベル5は、どのようになるのでしょうか。
旭化成 久世氏:現在、レベル4は、デジタルマーケティングとデザインシンキングの2つが開講されています。また、2019年から実施しているMI(マテリアルズ・インフォマティクス)の中級・上級コースと、データ分析人材のパワーユーザー育成コースを、レベル4とレベル5に適用していきます。
レベル4やレベル5の内容は業務上必要となるもので、旭化成のDXや変革を行ううえで、本当に重要な人材です。そこで、中期経営計画では、2024年の末までに2500人のデジタルプロフェッショナル人材を育成し、さらに、レベル4やレベル5の上位に高度専門職を置き、部門別に目標値も設定して進めています。
吉田:大きな目標に対するマイルストーンという意味でも、オープンバッジで定量的に把握できることは重要ですね。一方で、陳腐化は大きな課題だと思いますが、どのような体制や仕組みで内容をアップデートしていくのでしょうか。
旭化成 久世氏:デジタルの世界はどんどん進化しますし、必要になるスキルも変わってくるので、その都度、アジャイルの姿勢で変えていかないと駄目だと思っています。
2021年5月に発表してすぐに取組みを始めましたが、レベル1からレベル5までのすべてのコンテンツを用意してからだと、2、3年かかってしまうので、まずはレベル1の4コースを用意し、社員のみなさんにレベル1を勉強してもらっている間に、レベル2を準備するという感じで、走りながらやっていますね。
また、旭化成グループ内の海外の会社がやっている内容を参考にしながら、デジタル人材のスキルマップを作っています。しかし、やはりこれも作ったら終わりではなくて、レベル1から始まるオープンバッジと、既存の高度専門職のマッチングをとりながら、柔軟にプランニングしていこうと考えています。
吉田:海外展開についても、お話をお聞かせいただけますか。
旭化成 久世氏:海外の会社のメンバーが協力してくれて、10言語に翻訳し、内容については、国や文化の違いに応じて柔軟にカスタマイズをしています。画一的にやるのはよくないと思っています。
工場での生産・製造や営業マーケティング、人事、ファイナンスなど、あらゆる職種の従業員たちに、一定レベル以上のデジタルの力をつけてもらいたい。その中に今レベル4、レベル5の人がこれだけの割合がいて、あと1年半でこれぐらいになる、そんな感じで計画を立てて取り組んでいますね。
吉田:オープンバッジは、タレントマネジメントや報酬にも紐づいているのでしょうか。
旭化成 久世氏:オープンバッジの取得は、タレントマネジメントのパラメータの1つになると思います。レベル4やレベル5では、インセンティブを検討しています。たとえば、高度専門職になると職階が変わりますが、そのためにはレベル4やレベル5を取得していることを原則とするなど、現在、制度設計をしているところです。スピード感をもって早く始めたいですし、あとは多様性・適応性をどう設計していくか、ということになります。
オープンバッジについては、サスティナビリティや品質保証など、さまざまな領域で発行していきたいですね。
オープンな情報発信がイノベーションにつながる
吉田:オープンバッジは、社外で取得したものもバッジウォレットに一緒に入れられ、オープンであることがベースになっていますが、社外に情報が公開されてしまうと人材が引き抜かれてしまうので、見せたくないという声も他の企業の方からお聞きしています。
旭化成 久世氏:オープンバッジに限らず、それは日本の本質的な課題だと思います。たとえば、MI(マテリアルズ・インフォマティクス)も、各社が0から自分でデータを揃えるとなると、やはり時間もかかりますし、大変ですから、本来は他社と共通で一緒にやってしまった方が良い。それなのに、そこができなくて全部を抱え込んで、データはもちろん外部へ出さない、という風潮があります。
オープンバッジについても、社外に情報を発信することによって、引き抜きのリスクはもちろんあります。しかし、人の流動性を高めた方が、本当にイノベーションが起きるようになると思いますし、一度社外に出ても、また戻ってきてくれれば良いと考えています。
また処遇についても、年功序列型では、絶対に若い人たちは元気がでないと思うんです。そういうあり方を変えていく意味でも、もっとオープンにした方が良いと思います。
吉田:ビジネスの領域の中でも、競争していく部分と協調していく部分があって、うまく切り出してみんなで何かを作り上げていく。そういった、人材の母数を広げていくような取組みができると、サスティナビリティに寄与できるかもしれませんね。
旭化成 久世氏:旭化成は、宮崎県、宮崎大学、宮崎銀行他と連携して、高校生や大学生のデジタル人材育成プログラムを計画しています。2022年には、延岡工業高校の生徒84名に、レベル1のオープンバッジを発行しました。これは、IBMが取り組む「P-TECH」(※)と同等の取組みです。
日本の強みはものづくりです。IoTやAI等を使ったスマート・ファクトリーなど、日本のユニークな強みをグローバルに発信したいですね。
また、ものづくりにおいては旭化成のようなプロセス系もあれば組み立て系もあり、日本の生産技術や製造技術は優れています。それに加えて、現場のノウハウ、スキル、経験、技術など多くの無形資産をもっています。そういったものを共有し価値化できると、世界からの関心は高まると思います。
※P-TECH・・・IBMにより創設された、大学進学とキャリア準備に焦点を当てた公教育改革モデル。9年生から14年生までを対象としており、生徒は高校の卒業証書とSTEM分野の2年間の高等教育の学位の両方を無料で取得することができる。
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吉田:最後に、オープンバッジ・ネットワーク財団に期待されることをお聞かせいただけますか。
旭化成 久世氏:オープンバッジでもっと社外とのつながりを広げていきたいですね。エコシステムとでもいうのでしょうか、200を超える大学や企業などのメンバーがおられるのですから、オープンバッジの仕組みで、それぞれのプログラムが相互乗り入れできるような、具体的な連携ができるようになれば良いですね。
また、大学生や高校生、企業の若手などが主体となって、オープンバッジで日本や世界の変革をリードするアイデアを共創するワークショップを企画するのはどうでしょうか。我々の世代が考えるより、若い世代の人たちは、新しい発想をしてくれますしね。
編集後記
オープンバッジ連載の最終回は、日本国内で最も先進的な取組みを進める企業のひとつである旭化成の久世和資氏にお話をうかがった。国内外の全社員4万人のデジタル人材育成は並大抵なことではないが、それをアジャイルで走りながら進めているという。柔軟性と適応性に優れた取組みは、多くの企業の人材育成の参考となっている。人材の流動性が高まらなければ、イノベーションは起こらないと断言する一方、若者のチャレンジに対する久世氏の温かい眼差しを感じることができた。今後の企業間連携や産学連携に期待したい。
全7回の連載を通して、オープンバッジを活用することにより、学習者が自ら個別最適な学習を選択し、自らの学修歴を管理できること。一生涯を通じて学び続けることができること。いつでもなりたいものを目指すことができること。それらの可能性を実感することができた。学びのエコシステムが、今まさにオープンバッジによって実現されようとしている。
これまでのオープンバッジ連載はこちら久世和資
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吉田俊明
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荒木貴之
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