あだ名には、良い面もあれば、悪い面もある
最近、あだ名に関することが話題になっています。私は、あだ名を呼ぶこと自体には良い面もあれば、悪い面もあると感じています。良い面としては、あだ名(ニックネーム)などを呼ぶことで、人と人との距離が近くなるという効果などがあります。アメリカなどでは、自己紹介の時に自ら”Please call me,〇〇!”と言うことがあります。私(鈴木邦明)の場合、”Please call me, KUNI”という感じになります。Mr.SuzukiよりもKUNIと呼んでもらった方が親しく関わることができそうに感じます。
「あだ名」は辞書(岩波国語辞典第3版)によると「軽蔑または親愛の意図で、本名のほかに、その人の特徴をとらえてつけた名まえ」とあります。親愛を込めて用いられている時には先ほども書いたように良い形で作用します。それが軽蔑の意図を込めた場合、いじめなどにつながっていく問題となる可能性があります。
安全管理でよく知られるものに「ハインリッヒの法則」というものがあります。重大な事故(死亡事故など)が1件起こるには、その前には29件の「軽微な事故」があり、さらに300件の「ひやっとする経験」があるとされるものです。学校でのさまざまな問題に当てはめると、あだ名でのトラブルは「ひやっとする経験」に当てはまるようなものでしょう。大きなトラブルの発生につながる可能性のある事柄であり、適切な対応が求められるものでしょう。
具体的な対応は?
具体的な対応として、あだ名に関して親からクレーム(相談)を受けた時は、あだ名を言っている人への関わりが大事になります。親からのクレームの多くの場合は「あだ名を言われ、嫌な思いをしている」というものです。受け手(あだ名を言われる側)がどのように感じているのかということが大事です。受け手が嫌だと感じている状況であれば、それを言っている人にそういった事実を伝えていく必要があります。言っている人に悪意があるのか、無いのかによっても対応が違ってきます。「悪意がない」のであれば、「嫌がっているのでやめるように」と伝えることで話は終わります。
ただ難しいものが「悪意がある」場合です。そういった場合、単にそのあだ名を言わないように伝えたとしても、その悪意がまた違う形で表れてきてしまうことが多いです。たとえば、仲間外れや物隠しなどです。「集団の質」が大きく影響を与えることになります。「嫌がるあだ名を言う」ということは、表面的な部分だと捉えることができます。他の人に対し意地悪なことをしても良いと言う集団であるから、実際の行動として「嫌がるあだ名を言う」という状況となってしまっています。
そういった場合は時間をかけて、しっかりと集団の意識のあり方を変えていくように関わっていく必要があります。道徳や特別活動などと関連させながら他の人との関わり方について考えていく時間を作っていくことも良いでしょう。子ども同士が協力できるような活動を意識的に多く取り組んでいくことも良いでしょう。そういった活動の中で子どもたちが互いを大切に思えるような集団を作っていくことが目標です。時間はかかりますが、少しずつ取り組んでいくことが大切でしょう。